論論論

蒙昧書捨

ボルツマン脳と死ねないこと、そもそも生まれないこと

ボルツマン脳という思考実験がある。

真空の状態からランダムな作用によって、単なる全くの偶然として今の状態と全く同じ状態の脳が無数に生まれうるという考えだ。

これは死とは何かについてとても重要なことを示唆している気がする。

あらゆる地点において私は次の瞬間にはボルツマン脳だったことが発覚し周囲の宇宙空間に散ってしまうかも知れない。

こうして意識の連続のようなものがあるということ自体が不思議な状態だ。

大体が、死んだあとの状態について考察するときに「ボルツマン脳と同じような状態」になって、つまり完全にランダムに発生する脳のうち、「現在の」あなたの直後の時間と言える脳の状態が次のあなたとなる。

 

これは、生まれる前の状態にも言えることなのではないだろうか。

また、ランダムに発生された脳にまで考えを広げなくても

私という意識の連続性は、微小な時間にまで区切るといずれは不連続な状態の推移として現れるはずである。

そうなった場合、意識と意識の間にある意識の関与できない状態の感覚については、私は死んでいるのと全く同じなのではないだろうか。

私は日々生きているという錯覚を得ているだけで、意識の動く時間など24時間のうち、ほんの30分程度かも知れない。

私には、生きていることの不思議より死んでいるという状態の不思議のほうがずっと神秘的だ。

死んでいる人には意識がない。意識がない間は、時間を感じることはない。

ワープみたいな感じで、完全なランダムな感覚に支配される。

次に何が来るかわからない状態が意識の捉えきれる範囲内で全くランダムに明滅してそれに終止する時間が延々と続く。

それが死後の世界なんじゃないかと、ふと思う。