論論論

蒙昧書捨

死について

死ぬということは、どこまで厳密に考えられるんだろう。例えば人を原子レベルに完全に粉砕した後、再度同じ場所に原子を構成した場合、その人は一度死んだといえるのだろうか。意識が途切れ、二度と復活しないことを死と定義して、そうしてしまうと宇宙が滅んでまた宇宙が生まれてという過程を無限に繰り返したときに、発生しうるその人の死ぬはずだった予定の「続き」のパターンが存在するとしたら、死なんて存在し得ないのではないか。

この宇宙は1回限りの特別な番号が振られているとしたら、死は存在しうる。ある番号Nの世界で、ある意識が途絶え、その後その宇宙でその意識の「続き」が発生しない場合にその人は死ぬ。

また別のパターンとして、意識が2つある場合はどうだろう。肉体は死ななくとも片方の意識に繋がる神経網を完全に潰し再現するには1からやり直すしかない場合、それは死と呼べるだろうか。

そもそも「生きている」とは何かを考えるべきだった。

「生きている」でなく、かつ「生きている」という状態が過去にあり、それらが同じ存在である時にそれは死んでいると呼べる。

そうすると「過去とは何か」「同じ存在とは何か」という問題が生えてくる。ビシッと決まった話をしたいものだ。